自戒
酔うと説教くさくなるところと、
自分は現時点で何者でもなく、何事も成し遂げていないんだ、ということを
心に刻んで明日から生きていくことにする
自分に自信を持つタイプではなく、
こんな自分なんて、と思いながらこれまでやってきたからこそ
周りの実力者たちの活躍を自分の功績かのように振舞って調子にのるのではなく
等身大のちっぽけでくだらない自分を見つめ直して
できること頑張らなきゃいけないと思う
弱い弱い弱い弱いおやすみなさい
人を幸せにするってどういうことか
幸せの形はひとそれぞれっていうけど、本当にそうで
給料何ヶ月分のダイヤをもらわないと幸せになれない人もいるし
インスタやフェイスブックなんかでいいねをもらわないと幸せになれない人もいるし
ありがとうって一言言われるだけで幸せになる人もいる
しかもその時の気分や状況によって、幸せの感じ方は変わるだろうし、それを与えてくれる相手によっても変わる
結局幸せって言うのは主観でしかはかれないものなのかもしれない
いや、傍目から見てあの人幸せそう、って思うことはあるから客観的にもはかれるのかな
酔っているからそこのところは分からない
世の中何でもそうなのかも
他人が何考えてるかなんて分からないし
結局今日は、自分の心の内を聞いてくれる人たちがいることにすごく幸せを感じたんだと思う
どんなに仲の良い人にでも、ぶつけてはいけない言葉はある、その一方で話さなければ伝わらないこともあるっていう当たり前のことを思い出させてくれた
幸せになるための鍵がそこにあるような気がした
なんか詩的な書き方になってしまったけど、ポエマーになりたいわけじゃなく、決めつけた言い方をしたくなかったから変な言い方になってしまっただけです
ていうか酔ってるからです
いい仲間たちに出会えたし、いい人と巡り会うことができたと思う
感謝を忘れずに生きていきたいと思う
駐輪場のおっさん
僕の住む家は最寄りの駅から少し離れている
なので出かける時は自転車を使うことが多い
その自転車を止める駐輪場には必ず青いジャンパーを着たおっさんたちがいる
仕事の現役を退き、第二の仕事をのんびりやっている人達だろう
彼らの仕事は簡単に言えば、自転車の整理
公共の場に秩序を生み出してくれる存在である
一回駐輪するごとに100円がかかるのだが
自転車の前輪を奥まで押し込まないとロックがかからず、料金が発生しない仕組みなので、中にはやんわりと自転車を台に乗せ、たかが100円をちょろまかそうとする不心得者がいたりする
青ジャンパーのおっさんたちはそういう輩を一網打尽にすべく、
誰かが自転車を止めるなり、そばに歩み寄り、しっかりロックがかかっているかを確かめに来るのである
はじめの頃はそんなおっさんたちを疎ましく感じていた
おいおい、そんなせこいことしないわ、と
でも、そのおっさんたちはロックを確認した後
必ず目を見て「行ってらっしゃい」と力強く言ってくれるのだ
その行ってらっしゃいには
「きみの自転車はワシがしっかり守るからな!」
というアツい気持ちが込められている
その行ってらっしゃいを受けて、僕も自然とその自転車を置いた後に待っている予定に対して気合が入るのだ
まるで戦地に赴く兵士のごとし
愛した女(自転車)を信頼できる仲間(おっさん)に預け、1人戦地(飲み会)へと旅立っていく
行ってらっしゃい!
お願いします!
そのやりとりの間には、男と男のアツい気持ちの混じり合いがあるのだ
自転車を預けた後、溢れる涙をこらえながら
僕はきょうも酒を飲みにいくのである
そんな今日は成人式
どうか若人たちよ、あの駐輪場の青いジャンパーを着たおっさんのようなアツい魂を持った大人になってほしい
未来は明るいぞ
小石川植物園、馬が合う
東京都は文京区
文京区は白山駅
そう、ずっと行きたかった小石川植物園へ行ってきた話をしようと思う
年末のことである
かねてよりその噂は植物好きの僕のところへ届いていた
『東京大学大学院理学系研究科附属植物園は、一般には「小石川植物園」の名で呼ばれ親しまれており、植物学の研究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設です。 この植物園は日本でもっとも古い植物園であるだけでなく、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つです。 』(公式HPより)
小石川植物園とは俗称で
正式名称は
東京大学大学院理学系研究科附属植物園
というなんとも大層な名前の植物園なのだ
そう、あの東大である
日本で一、二を争うあの東大
世界的に見ると東大はレベルが低いらしいが
ひとまず我が日本国においては最高峰と言える大学の管理している植物園だということが言いたいのである
いや、違った
べつに管理しているのが東大だろうが、ジェダイだろうがどうでもいい
大切なのはそこに植物園があり、僕が植物好きということだ
行かない手はない
ということで去る2018年末に一眼レフをバッグに忍ばせ、僕は都営三田線に揺られていた
当日はまるで歓迎されているかのような晴天
やはり僕は天に味方されていると言わざるを得ないだろう
都営三田線白山駅から緩やかな坂を登り、またすぐに下ると植物園の正門がある
正門から道路を挟んだ向かい側に、なんとも味のある売店が店を構えている
タバコ屋に毛が生えたような店で、ちょっとした食料品などが置いてあるのだが、そこで鯉の餌が売っているので購入した
灯油ストーブ独特の匂いが立ち込めていて、どこか懐かしい気持ちにさせられる店だった
店主のおばあさんは長年ここでこうして鯉の餌などを売ってきたのだろう
シワが刻まれた手でお釣りを渡してもらいながら、ついそのおばあさんの生きてきた道筋を想像してしまう
きっと生まれも育ちもこのあたりで、農家の三女か四女だろう
家業を手伝いながら、両親が強引に決めたお見合いで結婚
好きではない相手との夫婦生活に初めは戸惑っていたが、無口で無愛想な中にも自分を思いやる夫の優しさを見出し、徐々に夫婦として歩むようになる
子供も息子2人と娘1人をもうけ、幸せに暮らしていたが、夫が病に倒れ女手一つで子供3人を育て上げた
今は親戚が営んでいた商店を引き継ぎ、細々と鯉の餌など売りながら生活を送っている
※全て筆者の妄想であり、事実とは何ら関係がありません
そんな歴史と味わいを感じさせる女性だった
話がずれたので本題に戻ろう
というわけで、その商店で鯉の餌と菓子パンを購入し、正門へと向かった
受付で入場券を買う
大人1人400円
安すぎる
消費税なんか上げてる場合じゃない
植物税をとるべきだ
植物税を国民どもから搾取し、道端や駅前、国道なんかを花と緑で埋め尽くすべきだ、と僕は常々考えている
まあ、それはまた別の機会に語るとして
やっと入場である
入場した矢先に、受付のすぐ横のパンフレット置き場のようなところに可愛らしいものが置いてあった
もう僕は目がハートである
こういうものをただの落ち葉やゴミとして扱わない人は大好きである
一挙に僕の中の期待値は膨らんだ
ここには何かがある
植物好きを喜ばせる何かがある、と
歩みを進めるとさまざまな植物に出会った
ヒノキの葉と実の絨毯
イロハモミジ
もうウキウキが止まらない僕
踊るように園内を歩き回っていたと思う
小石川植物園のウリはニュートンのリンゴとメンデルのブドウと呼ばれる果樹である
ニュートンが重力に気づくきっかけを作ったのが木からリンゴが落ちるのを見たからという話は有名である
そのリンゴの木の親戚的なものにあたる木がこれだ
詳しくはわからないので看板の写真を読んでほしい
もう一つがメンデルのブドウ
これに関しては何もわからないので看板の写真を読んでほしい
季節が冬だからか、すっかり葉を落としたリンゴとブドウの木が生えているだけなので、正直そこまでの感動はなかったが
何となく博学になったつもりで目を細めて頷きながら看板を読んだ
言い忘れていたが、小石川植物園の魅力はなんといっても木の種類ごとに植え分けされているところだ
例えば、冬に咲くツバキだけでも、日本のみならず世界中からさまざまな種類を集めてツバキゾーンを作ってあるのだ
同じツバキという仲間に属するのに、見た目はこんなに違うのである
まるで我々人間のようだ
肌の色、髪の色、目の色
見た目は違えど我々は同じニンゲンという仲間に属している
仲良くやろうじゃないか、ニンゲンたち
ツバキはそんなことを感じさせてくれた
少し大袈裟だったかもしれない
ちなみにこの日は風が強かった
日本海側から低気圧が来ている影響で北風が強く吹いていた
その風たちが大きな木を揺らす
すごくロマンチックな言い方になってしまうが
まるで木々が僕に「ようこそ」と話しかけているようだった
生まれながらのロマンチストである
そんなロマンに溢れる男を、ヒマラヤスギの大木はそっと抱いてくれた
その後もさまざまなエピソードがあるのだが、あまり長くなってはいけないだろうし、
正直書くのがもうめんどくさくなってきているので、写真に語ってもらおうと思う
百聞は一見にしかずって言うし
忘れないでほしいのは、季節は冬ということである
中国の山水画伯、郭煕の言葉に
「冬山惨淡として眠るがごとく」
という言葉がある(今調べた)
冬は山も眠るように葉や花も枯れ、寂しい様子を表しているのだと思うのだが、それでもなお写真のように鮮やかな色彩を帯びて、小石川植物園は我々を迎えてくれたのだ
今こんな調子では、山笑うと言われる春は一体どれほどの魅力が詰まった場所になるのか
考えただけでも末恐ろしい
絶対に行こう
そんなふうに心躍らせながら行くと日本庭園ゾーンに差し掛かった
池にはご想像の通り、こいつらがいた
そう、鯉である
ここでついに、あの場末の老婆から買い取った鯉の餌が役立つ時が来たのである
僕は撒いた
嬉々として撒いた
鯉たちも面白いようにパクつくので、あっと言う間に鯉の餌は鯉どもの胃袋へと消えていった
僕は鯉に餌をやりながら、この一撒き一撒きが、あの商店のおばあさんの生活を支えているような気がして、少し背筋を正しながら餌を撒いた
一袋100円の餌だった
こうして広い植物園を一周し、入ってきた正門から出た我々、植物愛好家御一行は、食べるの大好き御一行へと名を変え、近くにあるイタリアンへと入った
写真で匂いと味を伝えられないのが至極残念である
それは植物好きにとって、天国のような場所である
植物が好きなら行くべきだ
植物が別に好きじゃなくても、広く緑豊かな園内を歩くだけでもとても気持ちが良い
なので結局みんな行くべきだ
そして
ぜひ立ち寄った際は、正門前の小さな商店のことも思い出してほしい
おわり
自転車×キャンプ
近頃、僕には密かに抱いている野望がある
野望と言っては大袈裟だが
計画というか、思案というか
まあとにかく呼び名なんてなんでも良いのだが
僕のやりたいこと
それは自転車にキャンプ道具をくくりつけて、キャンプをしに行くことである
思い返せば長くなるが
大学生の頃に、慕っていた先生からロードバイクをゴリ押しされて購入した
TREKというアメリカのブランドのロードバイクだった(あれは今でも人生で1番高い買い物だった)
その先生や仲間たちと海や山、時にはカレー屋を目指してペダルを漕いでいた学生時代
社会人1年目になり、日々の保育に追われ、少しTREKちゃんからは遠ざかる日々
それでもたまに誘われては受動的に自転車に乗っていた時期もあった
それでも、就職して3〜4年経ち、仕事も落ち着き、生活に余裕が出てくると自然とサドルにまたがる事が多くなった
健康の維持という大義名分ももちろんあったが、何より自転車に乗って風を切りながらさまざまな自然の風景に出会うことに面白さを感じ始めていたのだ
元来、自然を愛し、自然に愛されて生きてきた僕なのだ
当然といえば当然である
春はむせ返るような色とりどりの花や緑の匂いの中を
夏はそのまま溶けてしまうのではないかと思われる炎天下で
秋は心地よい風とともに色彩豊かな落ち葉の上を
冬は身を切る寒さと次第に温かくなる体温を感じながら
そんなふうに四季を感じながら愛車、TREKちゃんとの旅を楽しんできた
ここまで書くと、まるで僕が生粋の自転車乗りだというふうに思われるかも知れないが、誤解のないように言っておく
僕はまだ一度に走りきった距離が100kmを超えたことがない、典型的なへっぽこのんびりライダーである
そもそもこの世で1番嫌いなのは辛いことである僕が、何を好き好んで身体に鞭を打って長距離を走らなければならないのだ
自転車乗りの中には、長距離を走ることや苦難への挑戦に躍起になり、やれ150kmだ、やれ峠越えだと踏ん張る輩が後を絶たない
僕はそんな連中の気持ちが分からないし、分かろうとも思わない
苦難の先にある達成感よりも、目の前のご馳走に飛びつくタイプなのである
そんな中で僕は、ある日唐突に一眼レフを購入する
前から欲しいとは思っていたが、既知の通り、目先の好物に目がないタイプなので、ある日突然、よし買おうと思ってからは坂の上からロードバイクで走り抜けるように速く、カメラを手にしていた
2人の相性はとても良かった
まるであん肝と日本酒、流木とドライフラワーのようにマッチしたのだった
一眼レフを肩から下げて、ロードバイクにまたがり、あちこちに出かけては写真を撮る日々が始まった
道を走りながら、これは!!と思ったところで止まり、カメラを構えて風景を切り取り、また走り出す
そんなことを繰り返していると、他のロードバイカーたちからは怪訝な目で見られる
走っては止まり、止まっては走り
邪魔者極まりない存在だったであろう
しかしそんなことを気にしていては始まらない
僕は気持ちだけはプロのカメラマンになったつもりでファインダーを覗いていた
手前味噌だが、いくつかその過程で撮影した写真を載せる
これが一眼レフを持ち始めて半年と経たぬ男の実力である
存分に誉めてやって良いだろう
なんにせよ、自然を愛する男に自転車とカメラというツールはとても相性が良かったのである
また、そこまで自然を愛するようになったルーツは何かと考えてみると
幼い頃から両親に連れられてキャンプに行くことが多かったことが強く影響を及ぼしているのではと思い当たる
山や川に連れられては、疲れて倒れるように寝るまで遊び尽くしたものだ
そんな中で、拾った葉や枝で遊んだり、生き物を捕まえたりするうちに無垢な少年が自然を愛するようになるのは不思議なことではないだろう
小学生にして、よゐこの濱口のように、銛を手に川にザブザブ入っていき、ニジマスやヤマメを突き、自らナイフで捌き、焼いて食すようなキャンプ生活を送っていた
大きな声では言えないが、突然大きい方を催して、近くに便所がなく、泣く泣く川に自分の茶色い分身を流したこともある
後日それは一緒にキャンプに行っていた幼馴染に学校でバラされ、しばらく"川うんこ"とか"天然ウォシュレット"というあだ名で呼ばれた暗い過去も持っている
それほど自然に親しみ、自然に一体となりながら生きてきた僕なので、大人になってからもキャンプに足を運ぶことは少なくない
友人と休みが合えば、キャンプに行くのである
キャンプにも色々あり
コテージを借りて、バーベキューセットを借りて、と自分自身はほとんど何も用意せずレンタルで済ませるお手軽なものや
テントも自分たちで張り、寝床や調理器具なども持参して行うものまで様々な楽しみ方がある
キャンプについて語り出すとまた止め処なくなってしまうのでやめておくが
僕はお手軽なものも本格的なものもどちらも一緒にしてくれる友人がいるおかげで、今も楽しくキャンプ生活を送れているというわけだ
キャンプ×一眼レフもなかなかオツである
自転車×一眼レフ
一眼レフ×キャンプ
この2つの方程式の解が上記のようにこれほど心を奮わせるならば、
自転車×一眼レフ×キャンプ
この3つの要素が絡み合うことの恐ろしさ、もとい素晴らしさは計り知れない
そんな考えに行き着いた僕は、YouTubeで関連の動画を見ることから始めた
このあたりの動画を見ていると
思わずAmazonのアプリを開き、購入しそうになっている自分がいるのだ
年末は何かと金欠になりがちなのに
そんなことは知るかとばかりに僕の心の中の悪魔がカートに入れるボタンを押させようとしてくる
僕の心のもう半分の天使・・・も
「買っちまえよぉおおおお」
と囁いてくる
そういえばもうすぐボーナスの時期だ
こうして、僕はお金が貯まらない男となっていくのであった
感動を捨てる
先日運動会が無事終わりました
予想よりも暑い気温の中、子供達はよく頑張っていました
今年で5年目の運動会
毎年様々な子供達の姿を見てきました
運動会といえば、思い浮かぶキーワードは
汗と涙、悔しさ、喜び、チーム、協力、仲間
なんだか胸が熱くなるような言葉を思い浮かべる人は少なくないと思います
そして、そこにちらつく"感動"という言葉
自分自身の人生を振り返っても
運動会では何かしら涙を流したり、熱く燃えるような感情を覚えたりする経験があったことを覚えています
それらの経験や思い出を否定する気はありません
それは今の自分にとって、忘れられない大切な記憶として残っています
今日、私が考えたかったのは幼稚園・保育園のような幼児期に行われる運動会について
そこでは、時として"感動"が子供の自尊心を傷つけ、自己肯定感を損なうことにも繋がりかねないと感じています
1つエピソードを紹介します
これは私自身の担任の経験談です
初めて年長組を担任した時のことです
運動会では年長が競技の一番最後にクラス対抗のリレーを行います
全員参加です
1ヶ月ほど前から運動会に向けての取り組みが始まりますが、リレーに関しても何度も練習がありました
私のクラスは初回から1位で、子供達も大喜び
その後も練習では連続で1位を取るということが続き、クラスは舞い上がっていました
私はというと、先輩のクラスを差し置いて1位を取れたことが少し嬉しくもあり、はしゃいでいました
その一方で、担任としてこのリレーを通して、クラスとしての繋がりや自分自身と向き合うこと、友達と力を合わせるとこんなにすごいことができるんだな!という気づきを感じてもらいたいとも考えていました
ある日の練習で、初めて4位という結果になった時
クラスの多くの子達が涙を流しました
負けた悔しさからです
私ももちろん悔しかったですが、それ以上に負けたことで泣ける悔しいという感覚も、経験してほしいと思っていました
全力で取り組んできたからこそ涙が出るんだな、と
でも、その時の子供達を見ていると多くの子は泣いたり、悔しがったり、泣くのをこらえていたりしていますが
どこか戸惑っている表情の子がいたことに気付きました
これは推測でしかありませんが
きっとその子は今までは1位を取れたことにただ喜んでいたけれど
今回4位という結果で終わったあと、クラスの友達が悔しさから号泣する姿を見て
「え?そんなに泣くの?あたし、そこまで一生懸命勝ちたい!って思ってやってなかったから涙は出ないよ。でも、そんなこと言ったらみんなに怒られちゃうかな」
というような思いだったのではないかと思えてなりません
その時私は思い知らされました
連続1位という結果と、初めての4位という結果、そこに保育者である私の思いが合わさり、生み出されたものは「感動しなければならない空気感」
感動の押し売りです
もう1つ、これはネットで見かけた動画です
体育発表会のような場面です
https://shirutoku.info/10dan-tobibako
どんなプロセスでここに到達しているか分からないですし、この動画やサイトに書かれていることなど見えている部分からだけで語るのは間違いかもしれませんが
私はこの動画を初めて見た時、怖いなと思いました
周りからの声援、たくさんの人からのできる!!という思いの重圧、途中から出てきたクラスメートたちの円陣、泣きながら何度も挑戦する男の子
この子がその時、何を感じていたのかは
この子にしかわかりません
否定する気はありませんが、私は怖いと感じました
跳び箱を跳ぶという選択肢しか与えられないあの状況が怖いです
少し前ニュースを賑わせたスポーツ界のできごと
私の勤める幼稚園の園長は
「もう根性論で人は育たない」
と言ってました
本当にその通りだと思います
中学や高校と比べれば、幼稚園はまだ自分で自分の行動や感情をコントロールする力が弱いです
大人側の感動したい、させたいという思いのみで運動会を行おうとすると、そのしわ寄せは必ず子供に来ます
そういう意味で、感動という色眼鏡を一度捨て、何が子供にとって良い形なのかを今後も模索していけたらいいなと思っています
おわり
【保育の変革期を乗り切る園長の仕事術】
久々のクソ真面目な読書感想文です
保育の本です
一章読んでは書き、書いては読みをしたので今回は章ごとに書きました
《はじめに》若月芳浩先生
はじめにの切り込み方が刺激的。ドキッとする園長もいるのでは。この本ができた想いや熱意が伝わる文章でした。
《園長の仕事をリデザインしよう》田澤里喜先生
今の園長に求められている資質や向かうべき方向性が分かりやすく書かれていました。園長は大きく分けて、保育と経営の2つの仕事があり、そのどちらに偏っても良い結果にはならない。保育の質を高めていくことと、その一方で職員の待遇改善や保護者対応など園で起こり得る全てのことに対して、最終的な責任を持つ立場であることを再認識させられました。
《園の理念を考える》妹尾正教先生
園の理念の話。園を船にたとえ、理念を向かうべき目的地にたとえられていました。学生で学んだTAPのプログラム作りや組織作りを彷彿とさせる内容。大きな組織として動いていくからこそ、何のために?という(熱い)思いが一番はじめにあることが大事。さらに、そこに進んでいくための具体的なプランや今の職員の現状に沿った研修など、Visionを掲げ、そこに向かっていくための具体策まで周到に練っていく必要性を感じました。
《チームビルディング》安達譲先生
保育者の同僚性や新任、中堅の保育者をどう育てていくかという話。やり方や伝統、保育の技術面を教え込むのではなく、その組織の中の人間関係の中で聴きやすい、相談しやすい関係性を築くことが大切だと感じた。そのためには就職内定後の研修や、日々の振り返りの方法にも工夫が必要だし、組織内の人間関係を適切に捉える(ここが一番重要で難しい部分だと思う)ことも求められる。悩んでいる新人に主任がフォローに行くのと、1つ上の若手の先輩がフォローに行くのではきっと違う結果が出るのではないか?グループダイナミクス、人間関係論なども学んでいきたい。
《キャリアパス、人材育成》亀ヶ谷元譲先生
キャリアパス=仕事の経験歴を通じ、昇進、昇格へ進む経路、長期的な職務の道や展望を示したもの、についての話がメイン。多くの園で保育者の早期退職や同期が連なっての退職はあると耳にする中で、どうしたら働きやすく、やりがいを感じながら保育に携われるかを考える重要性が書かれていました。自園の現状の課題を見極め、それに見合った改革・改善をしていくこと。ICT化、職場環境の見直し(特に時間、空間、仲間の三間)などがキーワードになるかなと感じました。
《保護者対応》若月芳浩先生
園長としての保護者対応について。
ヒヤリとする若月先生の失敗談。惜しげなく自分の体験を書いてくださったことに懐の広さを感じました。変化には痛みが伴う、なんて台詞をどこかで聞いたことがありますが、保育を変えていくことでそれが子供にとっての良いことであっても、保護者から見れば手抜き、言っていたことと違うという風に映ってしまうこともあるのだということ。それを極力抑えるためには、事前にしっかり活動内容やその意図まで説明をすることが大切なようです。
《地域資源の活用》坂本喜一郎
地域資源の活用は個人的にとても興味のあるテーマです。子供には、本物に出会う経験をさせてあげたい。そうなると、一保育者では限界があることもしばしば。でも、周りを見渡してみると、色々な店や施設があり、そこには専門性を生かして生活をしている人たちがいる。そういう文化や、広く言えば社会と出会わせてあげるのは保育者の役割の1つではないかなと感じています。
一方で、やはり園外へと出ていくことにはまだまだ安全面の観点から、心配や不安が残ることも事実。模索していきたいテーマです。
《子育て支援》田澤里喜先生、木村創先生
子育て支援、これも教育要領で幼稚園が地域の幼児教育のセンターとして位置づけられたことで、私自身、保育関係の本や関係者との話でよく聞くようになりました。一担任として保護者と関わる中で感じたことではありますが、子育てに対して不安を募らせている保護者はやはり多いように感じます。昔がどうであったかは分かりませんが、「うちの子、大丈夫でしょうか?」と不安を吐露したり、中には面談で涙を流されたりする場面にも立ち会ってきました。そんな親が増えてきているであろう世の中で、幼稚園側として何ができるか、ということを真剣に考えたいと思いました。子育て相談に留まらず、地域に開かれた子育てに関係するすべての人が気軽に立ち寄れるような場を作っていきたいです。
読んでみた率直な感想は
「こんな本が欲しかった!!」
でした
自分も保育に携わる身として
そしていつか園長として、園を運営していかなければいけない立場として
知りたかったあれこれや
自分が園のリーダーとして進んでいくための原動力になってくれそうな一冊でした
この先、進む道を迷ったら何度でも読み返したい
そんな本に出会えたことに感謝です
おわり