感動を捨てる
先日運動会が無事終わりました
予想よりも暑い気温の中、子供達はよく頑張っていました
今年で5年目の運動会
毎年様々な子供達の姿を見てきました
運動会といえば、思い浮かぶキーワードは
汗と涙、悔しさ、喜び、チーム、協力、仲間
なんだか胸が熱くなるような言葉を思い浮かべる人は少なくないと思います
そして、そこにちらつく"感動"という言葉
自分自身の人生を振り返っても
運動会では何かしら涙を流したり、熱く燃えるような感情を覚えたりする経験があったことを覚えています
それらの経験や思い出を否定する気はありません
それは今の自分にとって、忘れられない大切な記憶として残っています
今日、私が考えたかったのは幼稚園・保育園のような幼児期に行われる運動会について
そこでは、時として"感動"が子供の自尊心を傷つけ、自己肯定感を損なうことにも繋がりかねないと感じています
1つエピソードを紹介します
これは私自身の担任の経験談です
初めて年長組を担任した時のことです
運動会では年長が競技の一番最後にクラス対抗のリレーを行います
全員参加です
1ヶ月ほど前から運動会に向けての取り組みが始まりますが、リレーに関しても何度も練習がありました
私のクラスは初回から1位で、子供達も大喜び
その後も練習では連続で1位を取るということが続き、クラスは舞い上がっていました
私はというと、先輩のクラスを差し置いて1位を取れたことが少し嬉しくもあり、はしゃいでいました
その一方で、担任としてこのリレーを通して、クラスとしての繋がりや自分自身と向き合うこと、友達と力を合わせるとこんなにすごいことができるんだな!という気づきを感じてもらいたいとも考えていました
ある日の練習で、初めて4位という結果になった時
クラスの多くの子達が涙を流しました
負けた悔しさからです
私ももちろん悔しかったですが、それ以上に負けたことで泣ける悔しいという感覚も、経験してほしいと思っていました
全力で取り組んできたからこそ涙が出るんだな、と
でも、その時の子供達を見ていると多くの子は泣いたり、悔しがったり、泣くのをこらえていたりしていますが
どこか戸惑っている表情の子がいたことに気付きました
これは推測でしかありませんが
きっとその子は今までは1位を取れたことにただ喜んでいたけれど
今回4位という結果で終わったあと、クラスの友達が悔しさから号泣する姿を見て
「え?そんなに泣くの?あたし、そこまで一生懸命勝ちたい!って思ってやってなかったから涙は出ないよ。でも、そんなこと言ったらみんなに怒られちゃうかな」
というような思いだったのではないかと思えてなりません
その時私は思い知らされました
連続1位という結果と、初めての4位という結果、そこに保育者である私の思いが合わさり、生み出されたものは「感動しなければならない空気感」
感動の押し売りです
もう1つ、これはネットで見かけた動画です
体育発表会のような場面です
https://shirutoku.info/10dan-tobibako
どんなプロセスでここに到達しているか分からないですし、この動画やサイトに書かれていることなど見えている部分からだけで語るのは間違いかもしれませんが
私はこの動画を初めて見た時、怖いなと思いました
周りからの声援、たくさんの人からのできる!!という思いの重圧、途中から出てきたクラスメートたちの円陣、泣きながら何度も挑戦する男の子
この子がその時、何を感じていたのかは
この子にしかわかりません
否定する気はありませんが、私は怖いと感じました
跳び箱を跳ぶという選択肢しか与えられないあの状況が怖いです
少し前ニュースを賑わせたスポーツ界のできごと
私の勤める幼稚園の園長は
「もう根性論で人は育たない」
と言ってました
本当にその通りだと思います
中学や高校と比べれば、幼稚園はまだ自分で自分の行動や感情をコントロールする力が弱いです
大人側の感動したい、させたいという思いのみで運動会を行おうとすると、そのしわ寄せは必ず子供に来ます
そういう意味で、感動という色眼鏡を一度捨て、何が子供にとって良い形なのかを今後も模索していけたらいいなと思っています
おわり