行きつけのコメダ珈琲で
僕は大学院に通い始めてから、時間のある休みの日は、もっぱら近所のコメダ珈琲に行くことにしている
コメダ珈琲は、居心地が良く、パソコンも使え、食べ物もたっぷりサイズでとても気に入っている
ただ、そこでいつもいる女性店員さんが、なぜか気に食わない
なぜなのか?
仕事や学びの手を止め、本業そっちのけで考える
これかもしれない、と行き着いた答えは、その人のある発言だった
その店員さんは、二重になっているコメダ珈琲の入り口の、一つ目のドアからお客さんが入ってきた時に
「おあとでーす!」
と叫ぶのだ
これだ、と思った
おあと、お後、オアト
最初は何を言っているのかわからなかった
しかし、何度も通ううちにそれが
「お後にいらっしゃるお客様です」の略であることに気づいた
数秒後に来店があることを他の店員に共有する言葉だったのである
さて、なぜ僕はそこで不快感を覚えるのか
理由は2つある
1つは、客をモノのように扱った「お後」という言い方に対してである
この女性店員さんは、ハキハキ話すし、接客も丁寧である
おそらく優秀な方であろう
ただ、その素晴らしい接客があるからこそ、人をモノ扱いしたように聞こえる「おあとでーす!」の物言いがなぜか鼻につくのだ
それは、おあとでーす!という彼女の言葉に込められた
入り口から入ってくる人を
大切に扱うべきお客様
としてではなく
自分の仕事の受け手である一対象
としてしか見ていないことの暗黙のメッセージなのではないだろうか
どうせ短く伝えるなら、「お」なんて付けて丁寧風にせずに
あとでーす!
とか
らいてーーん!
とか
かみーんぐ!
とかにすればいい
本質的に丁寧にみていないのにも関わらず、丁寧さを表す「お」をつけて、おあとでーす!と叫ぶことが、僕は不快なのだ
無論、彼女を責めるつもりはない
きっと真面目な方で、どうしたら効率的に接客業務を捌けるのか、ということを試行錯誤した上での、おあとでーす!なのだろうから
不快感を覚えるもう1つの理由は、
彼女のおあとでーす!に込められたもう一つのメッセージが伝わってくるからである
それは同僚に向けられたメッセージ
つまり、端的に言えば
もうすぐ客が入ってくるから誰か対応行けよ!!
ということを暗に示している
事実、注文をとっている時の猫撫で声(これもとても不快なのだが)と比べて、おあとでーす!の声は野太く、低く、誰かに何かを押し付けるような言い方に感じられる
自分は忙しい、接客に行けない、だから誰か行きなさいよ!あたしは言ったからね!
というメッセージが
おあとでーす!の中に込められているのである
たった一言のおあとでーす!という言葉から、僕はさまざまな情報を受け取っている
もちろん、僕の解釈が全て正しいとは限らない
自分が偏屈なのは理解している
猫撫で声の彼女と野太いおあとでーす!の声の彼女、どちらが本当の彼女なのかは分からない
いや、どちらも本当の彼女なのだろう
人はさまざまな自分を使い分けて生きている
ただ、コミュニケーション、対話、というのは情報の送り手だけでは成り立たず、受け手がいて初めて成立する
そうである以上、彼女のおあとでーす!から不快感を受け取ってしまっている自分は、きっと彼女の根っこはおあとでーす!であり、猫撫で声で接客している時もその声と表情の裏では、おあとでーす!の彼女が深く黒く渦巻いている
ような気がしてならないのである
どうしてもその気持ちを整理しておきたくて、数年ぶりにこのはてなブログを開いた、と言うことである
相変わらず、ひねくれ、捻じ曲がった性格の僕である