しろくまのアトリエ

根回し下手の植物好き幼稚園教諭がビビッと来たことについて書き連ねるブログ

三男から珍しくラインが届いた

内容は、父親が、酔って転んで頭を打って病院に行ったというもの

 

幸い、父は大事には至らなかったが、その出来事から三男は父親も良い年なんだなぁと感じたらしく、心配して連絡して来たらしい

 

 

僕ら家族は仲は良い方だと思うし、これまで大きなトラブルや事故もなく生きてきている

 

父親も母親も尊敬しているし、僕もある程度は良い息子、良い兄として過ごしていると思う

 

 

昔は何も考えず、やりたいことをやりたいようにして生きていた

 

多分それは両親や家族の計らいによって見守られ、甘やかされ、生かされていたんだろう

 

それが今この年、この職業に就いたことでよく分かる

 

 

 

 

でも、今我々兄弟たちは少しずつ大人へと変わりつつあり、自分のことは自分でやらなけらばならないし、自分以外のことも面倒を見ていかなければならなくなってきている

 

 

最近はそんなことをよく考える

 

 

自分の社会的立場が少しずつ変わりつつある

 

 

養われる側から養う側へ

 

される側からする側へ

 

守られる側から守る側へ

 

 

 

当たり前のように周りの大人たちはそうやって命のバトン的なものを引き継いで生きてきているのだと思うけれど、僕にはまだそういうことはよくわからない

 

 

だけど、少しずつでいいと思うから、命のバトン的なものを受け取れるように準備を進めていくことにしたい

 

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どちらに進もうと思っているのか

 

 

最近読書から離れている

 

良くない傾向である

 

単純に本を読んでいないというだけでなく、自分を律することができていないということだ

 

仕事が忙しいということは言い訳にはならない

 

 

漫画アプリを読む時間はあるのだ

 

ぼーっとする時間はあるのだ

 

 

スティーブ・ジョブズ孫正義みたいに、ある分野での大成功を収めたいとか

 

人生を楽しむ16の方法、みたいな本に書いてあるような生き方をしたいとか

 

そういうことではないんだ

 

少しだけ、人生を豊かに過ごしたいだけ

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自分を律しよう

 

朝起きてから家を出るまでの行動をそつなくこなそう

 

持ち帰り仕事をなくすのは今の自分には無理だ、ならば、どう効率よく持ち帰るかを考えよう

 

 

ここなら集中できる、という場所を見つけよう

 

 

 

よし、書いていたら高まって来たぞ

 

インプットインプットインプット

学びたい学びたい学びたい

 

 

 

自分に言い聞かせて明日も頑張ろう!

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身辺整理

3月に引っ越すことが決まっていて、ここ最近は今住んでいる家を引越しに向けて片付けることにもっぱら力を注いでいます

 

今住んでいる家には約4年半くらい住んだことになります

 

 

思い返せば、初めは不安と期待を抱えていました

 

新居というだけでなく、社会人として仕事をし始めることも重なって、どちらかといえば不安の方が大きかったのかなぁ

 

 

特に社会人1年目は慣れないことも多くて、4〜7月は仕事から帰ってくると死んだように布団に倒れて、その後、夜中に目を覚ましてシャワー浴びてまた寝て・・・という不健康まっしぐらな生活をしていました

 

職場で余ったそうめんばかり食べてて、2ヶ月で10キロちょっと体重が減ったこともよく覚えています

 

だいぶ生活が安定したなぁ、とここ最近は感じていましたが、そんな家とも、そしてこの街ともあと少しでお別れです

 

 

住みやすくて良い街でした

 

 

次の街ではどんな出会いがあり、どんな暮らしが待っているのでしょう

 

 

楽しみです

 

引越し、がんばろう

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にゃ◯こスター

僕は認めない派です

 

 

また1ヶ月以上更新あけてしまいました

 

でも、それを咎められることも、嘲笑されることもありませんなぜなら

 

ここは自分だけの場として使っているから

 

 

子どもを見ていると思う

 

人間は誰にでも、

 

人と関わらなければいけない部分と

 

人と関わらせたくない部分がある

 

 

最近読んだ保育系の本の中で

子どもたちにとってより良い保育を突き詰めていったときに、ホモ・サピエンスの時代にヒントがあるという興味深い話を読みました

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 [保育のグランドデザインを描く:これからの保育の創造にむけて ]https://www.amazon.co.jp/dp/4623074900/ref=cm_sw_r_cp_api_o4nqAbYJBF630

 

狩猟と採集をして生きていた我々人間の祖先たち

 

効率よく生きていくためには、個ではなく、群れを作って生活をしていく方が良いと気づき、その頃は数十人の群れがいくつもあったんだそうな

 

多分、マンモスを狩るのに、

 

「ちょ!!1人じゃ無理だわ!!」

 

ってなったんでしょうね

 

その営みの中で、人に物を分け与えたり、怪我をした仲間を庇ったりということを繰り返して培ってきたものが、動物の中でも人間がひときわ高いレベルで維持している共感能力なんだそうです

 

 

つまり、人間の歴史を紐解くと、人と関わらなければ生きていけない部分があることを否定できないということ

 

 

でも、それだけじゃなく、歴史的実証はないものの、人間には1人になりたい時もあるなぁというのが私なりの見解

 

 

きっと、人と関わりながら、ときに1人になって自分を見つめ返しながら、バランスをとって生きていくんだな、と思います

 

 

 

 

 

 

さて、前置きがもはや本文レベルで長くなってしまいましたが、本題に入ります

 

 

仕事で使っていたMacBook Airが半年ほど前に故障をしまして

 

しばらくどうすべきか悩んでいました

 

 

修理にかけると、購入時の6割くらいの値段がかかるという事実もあり、さらに悩みに拍車をかける

 

 

 

悩んで悩んで悩み抜いた末に

 

年末セールだし、ボーナスも出たし、ということで新しいものを購入しました

 

それがこちら

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Apple製品から今回浮気をしました

 

 

だってMacBook Air本当に壊れやすいんですもの

 

 

実はずっと前から目をつけていたWindowssurface laptopを購入しました

 

まだ使っていないのでネットで見つけたレビューを載せておきます

https://www.gizmodo.jp/amp/2017/08/surface-laptop-review.html

 

 

まあ結局どのパソコンにも良い点と悪い点がありますからね

 

人間と同じですよ

 

 

 

また今後使っていく中で感想など載せていきたいと思います

 

 

明日仕事が終わったら、夜中からスキーに行くため、これから荷造りします

 

 

 

 

おわり

 

 

揺さぶるを英語で言うと

なんだろう

 

Shake the headかな

 

絶対違うけど

 

秋が訪れたあたりから今日まで、多分ここ数年、下手したら十数年の中で1番本を読んだ期間だったのではないかと思っています

 

ほとんどが仕事に関係する保育の本です

写真で紹介します

 

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夏の後半くらいから火がついたように本を読み始め、今に至るまで読み続けています

 

まあ、普段から読む習慣のある人からすれば大した冊数ではないのでしょうが、これまで新年の誓い的なSNSへの投稿で今年は本を読みますと豪語しているにもかかわらず続かなかった僕としては今年は本当に本を読んでいると言えるのです

 

 

まあ、簡単に言うと今回のブログではそのプチ読書自慢がしたかっただけなんですが(笑)

 

でも、それでも、この数冊を読んだことで確実に自分の保育観という貯水槽に、でかめの石をドボンと投げ込んでもらったので、今、日々、仕事で子どもと向き合う中でも毎日shake the head 状態です

 

 その中でも1番大きくshake the headさせられているのは、これまでとは保育の方向性が変わってきていること

そして、その方向性と自分がやりたいやってみたいいいなぁと思っていた保育の方向が当たらずとも遠からずであったこと

 

 

少しずつではありますがこれからの保育も語れるようになりたいので少しだけここに書いてみますが、正しいかどうかはあまり自信はないです

僕なりの解釈です

 

小学校関係の人も聞いたことがあるはずの、最近話題のアクティブラーニングという言葉

これまでの先生が板書やプリントなどを使って学ぶ内容を教えて、生徒はそれを聞いたり、見たりしてノートを取るという一方通行型、生徒目線だと受動的である教え方に対して

生徒が能動的に学びを生み出し、掴み取っていく形式がアクティブラーニングです

 

※誤解や誤学習が怖いので文科省のサイトから正しいもの引用します

『アクティブラーニングとは、学習者である生徒が受動的となってしまう授業を行うのではなく、能動的に学ぶことができるような授業を行う学習方法です。生徒が能動的に学ぶことによって、「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。』(2012年8月中央教育審議会答申)

 

とあります

なぜこのアクティブラーニング(実は最近はあまり聞かなくなったけど)が評価されているのか

 

それはこれまでのとにかく知識を詰め込んできた20世紀型の教育の存在があると思います

 

戦後の高度経済成長が背景にある、その20世紀型の教育はとにかく物を生み出して作って売って生み出して作って売って生み出して作って売って・・・を繰り返してきました

そこで必要とされる人材は、目の前にある大量の仕事をばんばんこなせるような人

 

良い大学に入り、良い成績を取り、良い会社に入って、どんどん利益を生み出していける人、が求められていたわけです

そうなると必然的に、小中高ではとにかく人より知識を、と詰め込み型の教育が行われます

 

 

それが20世紀型の教育だと思います

 

しかし、高度経済成長が続いてくると、人類は気がつくわけです

 

あれ、このままだと資源足りなくね?

 

ていうか、地球暑くなってね?

 

やばいじゃんやばいじゃん、どうすんの

 

そこで人類は考えました、対策を

 

「キミ!地球温暖化、なんとかならんかね!?」

 

「地球の冷まし方、習ってないんで無理で〜す」

 

というような感じで、知識だけはあるものの、その知識を他に生かす、応用することができない人材が増えてしまったわけです

 

(あぁ、書いていて色々語弊があることは重々承知です許してください)

 

ここでもう一度引用

文科省のサイトでは教育の現代的な課題として以下のように書いています(下線はぼく)

 

『現代的な課題
(前略)社会の質的変化等を踏まえた現代的な課題に即して、これからの時代に求められる人間の在り方を描くとすれば、以下のような在り方などが考えられる。
・社会的・職業的に自立した人間として、郷土や我が国が育んできた伝統や文化に立脚した広い視野と深い知識を持ち、理想を実現しようとする高い志や意欲を持って、個性や能力を生かしながら、社会の激しい変化の中でも何が重要かを主体的に判断できる人間であること。
・他者に対して自分の考え等を根拠とともに明確に説明しながら、対話や議論を通じて多様な相手の考えを理解したり自分の考え方を広げたりし、多様な人々と協働していくことができる人間であること。
・社会の中で自ら問いを立て、解決方法を探索して計画を実行し、問題を解決に導き新たな価値を創造していくとともに新たな問題の発見・解決につなげていくことのできる人間であること。』

(文科省 新しい学習指導要領が目指す姿についてより引用)

 

特にこの中でも下線を引いた部分、そこが重要だと考えています

 

「何をどのくらい知っているか」よりも「知っていることをどう生かすか」ということに重きを置くようになったということが最大の変化だと思うのです

 

とても多くのことを知っているけれど未知のものには歯が立たない人ではなく、未知のものに出会っても知っていることを駆使して立ち向かっていける人、を育てていこうという方針に国全体がシフトしてきているということです

 

20年後には今人間がしている職業のおよそ50%が機械に取って代わられ、自動化していくと言われており、その50%分の人々は、今はない新しい職業に就くとも言われています

 

そうなった時に、分からないことはできない

初めてのものには対応できない

 

では、困ってしまうわけです

 

こんな背景があるからこそ、アクティブラーニングやら、協同(共同、協働)的な学びやらが注目を集めているのです

 

人から教わるだけではなく、自分で人と話したり本を読んだりして、自分なりの考えを持ち、それをまた人とぶつけ合いながら磨いていく

その繰り返しが、主体的に物事を考え、創造的なアイデアを生み出していくことのできる人材を育てていくことにつながるのです

 

話がだいぶ脱線しましたが、ここで保育の方に話を戻します

 

そしてここでさらにキーワードとして挙げられるのが、 認知的能力と非認知的能力です

 

認知的能力とは、数を数えられる、漢字が書けるといった目で見える能力のことです

それに対して非認知的能力とは、粘り強さや協調性、忍耐力といった目に見えない能力のことです

 

OECDによる国際調査と教育に関するレポートによれば、

この2つの能力はどちらかが良くてどちらかが良くないというものではなく、相互に密に関連するものとして示されています

 

そして、保育の世界では、この2つの能力のうち、非認知的能力を育てていくことが重要であると私は考えています

 

友達との関わりや、遊びの中で工夫したり試行錯誤したりしていくことなどの中に、非認知的能力の育ちがあると考えるからです

 

 

 

そんな世の中の動きもありつつ、保育の世界(というか僕の周りの保育の世界)の歩みを見てみると、

数年前までは子どもに対して、保育者が考え練り上げた活動を提供し、そこから保育者がこう育って欲しいと願った学びが子どもたちの中に生まれることを良しとしてきました

 

 しかしそのやり方の中には、子どもは弱い存在、守ってあげなければならない存在、放っておくと悪い方へと育ってしまう存在というように、ある意味では子どもを信じず、大人がなんとかしてあげなければいけないという考え方が内包されています

 

そうなると保育の活動は上に書いた通り、子どもの気持ちを無視し、大人の願いばかりが詰まったものになります

当然ながら子どもにとってはやりたいものではないことが多いので、つまらなくなります

つまらなければ子どもはだらけたり、違うことをしたり、フラフラし出します

そうなれば、その子たちは保育者に叱られ、諭され、型にはめられます

型にはまらない子は、気になる子としてレッテルを貼られ、自分の気持ちを押し殺して黙って言われたことをできる子が「良い子」として見られていきます

 そんな“大人主導保育”が展開されていくのです

 

僕はなんとなくこの風潮というか、雰囲気を就職当初から感じていて、微力ながらその大きな流れに抗ってきました

子どものやりたいと言ったことにはとことん付き合い、多少の悪戯やケンカは大目に見て、なるべく注意を少なく、というふうにした保育者1年目の僕でした

 

ところがそれで出来上がったクラスは、賑やかで、まとまりがなく、落ち着きもないクラスでした

 

行事や集会などでは必ず誰かが“浮いて”しまう

そんなクラスです

 

当然、主任や園長たちからは、

「もう少しまとまりを」

「生活面がなってない」

「やりたいことにだけ付き合っていればいいわけではない」

 

とお言葉をいただきました

 

もちろん、自分自身の保育者としての技量のなさは何度も痛感しましたが、それでもあんなにのびのびと楽しそうに過ごしている子どもたちの存在すべてを、クラス経営のすべてを否定された気がして、当時はかなり落ち込んだことを覚えています

 

そこから数年が経ち、そんな経験も積みながら歩んできた僕はいつのまにか子どもたちのことを、型にはめようとしていたのです

 

「生活態度を正させないと、またうちのクラスだけ言われてしまう」

「どうせ、これやりたいと言ってもダメと言われるだろうから無難な方にしておこう」

 

そんなふうに考え始めると、子どもたちのできないことばかりに目が向き始めて、口から出るのは注意や小言ばかり

 

そんな時に出会ったのが今回写真でアップした本たちでした

 

本はどれも違った切り口でしたが、言わんとしていることは全て同じことのように感じました

 

それは先ほどの大人主導保育に対して、

子どもは自ら育っていく力がある

ケンカや一見無意味な行動にも必ず何かしらの理由がある

保育者は子どものやりたいと思うことにとことん付き合い、そこで起こっていることから子どもが何を学んでいるかを言語化していくことが大切である

 

と言うように、子どもの育つ力を信じる保育、言わば、“子どもが真ん中保育”を掲げていました

読んだ瞬間

僕のやりたかったことはこれだ!!

と思いました

 

本を読んで鳥肌が立ったり、胸がドキドキしたりしたのは本当に久しぶりでした

(確か記憶にある中で初めてそれを経験したのは十五少年漂流記を読んだ時だったと思います)

 

僕はその本達に力強く背中を押されたような気がしました

 

君は間違ってなかったよ、それでいいんだよ、と

 

 

もちろん、僕にも改善すべき点は星のようにありますし

そもそも子どものやりたいを優先する=生活面が乱れる

ではないこともだんだんと分かってきました

 

 

そして

その自分がやりたかったこと、目指したかったこと、理想の保育に出会えたこと

その保育が、実はこれから先求められている21世紀型保育と重なる部分が多いこと

 

それが嬉しくて、楽しみで、今の自分とはかけ離れすぎていて、shake the head

状態なのです

 

お前はそれでいいのか

 

まだそんなことをやっているのか

 

将来、君はどうするの

 

と無言のプレッシャーを感じています

 

 

 

今ここでこれらの本に出会えたことは、本当に幸せでした

 

今の自分を見つめ直す機会を持てたことが何よりも嬉しいです

 

 

 

これから先、少しずつ、ゆっくりでいいから自分なりに保育を探求し、地道に、地道に、歩んでいこうと思います

 

 

本当は今自分のクラスで始まっている遊びについても触れたかったのですが、あまりにも長くなりすぎるため、今回はこの辺で締めさせていただきます

 

 

今の自分の中にある精一杯の知識と熱意をかけて書いたこのブログ史上、最長のブログでした。

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

追伸

後日、写真で載せた本に関しては、情報を追加で書き込みます。今回はもう眠いので、おわり。

 

 

子どもは時に残忍である

お久しぶりです

 

 

またもや1ヶ月更新を止めてしまいました

 

もはや誰のためにやっているのかよく分からなくなっているこのブログですが、せめて1年は続けていきたい

 

そしてできればライフワークにして、いつかジジイになった時に1人でこれらを読み返し

 

きもっ

 

と呟きながら酒でも飲みたいもんですな

 

さて本題、

仕事柄、子どもと話す機会は人よりも多い方なのですが

子どもの発想力の豊かさは本当にすごいのです

ほんっとぅーーーーに

 

大人になる過程で僕らがどこぞに落としてきてしまった大切な何かを彼らは今も持ち続けているんです

 

(あぁ、かっこいいこと言ってしまった)

 

でも本当に彼らの発想力、想像力の豊かさ、意外性、新鮮さには目を見張るものがあります

 

 

と、まあ、ここまでは前置き

 

 

先日、通園バスに添乗職員として乗車していた時のこと

 

僕は子どもとふざけるのが好きなので

よく車内で近くに座っている子と指鉄砲で撃ちあったり、肘から先を刀に見立てて斬り合いをしたりします(もちろん着席したままですよ)

 

 

その日も壮絶な戦いをひとしきり終え、いつものごとく最後は僕が喉を切り裂かれて終わる、というダークなごっこ遊びに興じておりました

 

僕「おぬし、やりおるな・・・」

 

子「まだまだ甘いな。出直してきな!!」

 

僕「ははぁーーー!!」

 

 

なんていうこれまたお決まりのやりとりも済ませ、落ち着こうとすると

 

子「ほら、仲直りのケーキだ。食べな。」

 

とケーキを差し出してくれました

 

もちろん幼稚園児がケーキなんて園に持ってくるわけはなく、これはあくまで空想上のケーキで

した

 

しかしそこは私も保育のプロの端くれ

 

「ないじゃん」

 

なんてことは言わずに

 

「なに!!わたしにくれるというのか!!ありがたき幸せ!!」(なぜかずっと侍キャラ)

 

などといって

 

その見えないケーキを口いっぱいにほおばりました

 

差し出してくれた子も嬉しそうな顔をしていました

 

いやぁ、我ながら良い対応をしたなぁ

 

しかしその瞬間、その子が不気味にニヤリと笑ったかと思うとこう言い放ったのです

 

 

 

「そのケーキ爆弾入り、ドカーーーーーーーン!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

えげつねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ

 

 

一度戦いを終え、和解したかに思わせ、爆弾入りのケーキを食べさせるというこの上なくえげつない作戦

 

 

見事に引っかかり、僕の頭部はきっとバラバラに飛び散ったことでしょう

 

 

 

 

子どもは時に残忍である

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

あんま前置きとつながってなかったっすね

精進致します

 

 

 

ほんとにおわり

3時間集中

仕事の関係でイラストを描いていたら、気づいたら3時間が経過していました

 

 

絵が上手いとは言い難いのですが、描くのは好きです

 

明日は弁当の日

起きられるか心配です

 

 

あと一言だけ最近のニュースについて感想を言わせてください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安室奈美恵が引退すると聞いても、何の感慨もありません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、おやすみなさい

 

 

 

 

おわり